伊万里焼買取に関する情報を提供するページ
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伊万里焼・古伊万里買取情報の目次

このページでは古伊万里などの伊万里焼買取に関する様々な情報をご紹介するのですが、情報量がかなり多くなりますので次の目次を参考にしてください

古伊万里・伊万里焼の買取相場を一覧でご紹介

伊万里焼の買取価格例の紹介

伊万里焼や古伊万里の買取価格は作風や歴史、作家や状態によってピンキリですので、まずはできるだけ多くの種類の伊万里焼買取相場を一覧で紹介していきます。

伊万里焼買取について流れや方法を知りたい方はこちらの「骨董品買取が初めての方へ」を、おすすめの伊万里焼買取業者について知りたい方は後述の「伊万里焼買取におけるおすすめ買取業者についてを参考にしてください。

様々な伊万里焼買取相場一覧リスト
伊万里焼の種類 状態 買取相場
初期伊万里水指 作者不明 箱有 10万円~20万円
伊万里焼皿(天保年製) 在銘/共箱有 23000円~35000円
伊万里焼写大皿 KPMベルリン造 在銘(窯印有) 9000円~21000円

伊万里焼の場合は人間国宝や特定の有名作家がそれほど居ないため、純粋に「作られた時代」や「装飾」によって買取価格が算出されるケースが多いです。そのため作家物の伊万里焼でなくても買取価格が期待できる例が多いのですが、経年の見極めは熟練の査定員でないと難しいため、伊万里焼買取の際は骨董品に造詣が深い買取業者へ依頼することをおすすめします。

では、次は画像と解説付きで伊万里焼の買取価格についてご紹介します。

伊万里焼・古伊万里の買取価格例の紹介

伊万里焼の買取価格例の紹介

こちらでは様々な伊万里焼や古伊万里の買取価格について紹介します。画像付きで伊万里焼の買取例を挙げて紹介しますのでぜひ参考にしてください。(※なんでも鑑定団のような評価額や鑑定価値と買取価格は全くの別物で、評価額は買取価格よりもはるかに高い金額が算出されます。)

古伊万里染付大皿(直径:約39cm)

古伊万里染付大皿(直径:約39cm)
買取価格:1~2万円

「古伊万里」とは明治時代以前に作られ、骨董品的価値も備わっている伊万里焼のことを指します。当時の伊万里焼は西洋諸国の王族貴族からも愛されており、現在でも”オールドイマリ”として熱心なコレクターが存在します(クイーンのフレディ・マーキュリーは伊万里焼のコレクターとして広く知られています)。

こちらは古伊万里の大皿で、買取相場としては大体1~2万円前後が期待できる品です。ひとくちに古伊万里といっても窯や装飾が幾多もあり、高額なものでは買取価格が数十万円単位に上ることもあります。

初期伊万里染付皿(直径:約21cm)

初期伊万里染付皿(直径:約21cm)
買取価格:5~8万円

1610年代~1630年代頃までに作られた古い伊万里焼を「初期伊万里」と呼びます。当時の伊万里焼は現在のような色数が多い色絵磁器ではなく、主に青と白のみの染付の品が大半でした。当時は素地も厚く発色も安定しなかったため、他の陶磁器に押されて姿を消してしまいましたが、現在は叙情美が評価され、骨董品としても高額で取引されています。

こちらの初期伊万里は経年の汚れはありますがヒビや欠けなどはなく、買取相場はおよそ5万円~8万円前後が期待できます。論文や冊子、文献に掲載されているなど出所がしっかりしている初期伊万里は買取価格も高額になりやすい傾向があり、こちらと同じような品で文献掲載のものは最大15万円前後の買取相場が付いています。

伊万里焼徳利 香蘭社造(高さ:約20cm、幅:約7.5cm)

伊万里焼徳利 香蘭社造(高さ:約20cm、幅:約7.5cm)
買取価格:1~2万円

こちらは古い香蘭社製の伊万里焼徳利で、買取相場はおよそ1万円前後が期待できる品です。明治時代に作られ、薄手の安定した生地と鮮やかな発色は当時の技術の先端を行くものです。

香蘭社は1879年(明治12年)に設立され現在も佐賀県に本社を置く陶磁器メーカーで、有田焼や伊万里焼作品を数々手掛け、国内外の博覧会での受賞は50回以上にも上ります。

当時、佐賀藩出身の歴史学者・久米邦武がウィーン万博を訪れ、陶磁器の先進技術を導入した組織を佐賀に置くことを決定し、その流れで香蘭社が結成され、当時はフランス最高峰のセーブル焼きよりも高値で売れたと言われています。

伊万里焼買取におけるおすすめ買取業者

伊万里焼買取におけるおすすめ買取業者

まず初めに、手間をかけずに伊万里焼を高く安心に売る為に最も大切なおすすめの伊万里焼買取業者をご紹介します。買取業界において「おすすめの伊万里焼買取業者=おすすめ骨董品買取業者」ですので、当サイトで紹介しているおすすめ骨董品買取業者を参考にしてください。

伊万里焼買取においても買取業者の選択さえ間違えなければ、手間いらずで高く安心に伊万里焼を売ることができます!

  • 日晃堂

    日晃堂は骨董品と食器を専門的に買取している買取業者です。骨董品の幅広い種類に応じて専門的に見れる査定士を揃え、世界に広げている販路が強みで、骨董品買取では特におすすめしている買取業者です。

  • 福ちゃん

    福ちゃんは中尾彬さんと池波志乃さんが広告塔を務めるてるのが印象的。福ちゃんは総合買取業者ですが、骨董品買取には専門的に力を入れており、総合買取業者としての強みを活かしたイチオシ買取業者です。

高価買取が期待できる伊万里焼の特徴とは?

メール査定における伊万里焼の撮影方法

家の大掃除や倉庫や蔵の整理、相続などによって「伊万里焼」が見つかった際に「高く売れそうな伊万里焼かどうか」を判別するポイントをご紹介します。

これから紹介するポイントに多く該当すると高く売れる伊万里焼の可能性が上がりますので、気になる場合は後述しますが一度骨董品買取業者に査定依頼をすることを強くおすすめします!

単純に古そうな伊万里焼(古伊万里)かどうか

単純に古そうな伊万里焼かどうか

伊万里焼だけでなく骨董品や陶磁器全般に言える事ですが、単純に「古そう」と感じるだけでも数万円以上で売れる高い価値を秘めた品の可能性はゼロではありません。そのため、基本的には価値や買取価格については専門家に査定依頼することをおすすめします。

特に古伊万里や初期伊万里は作家が不明な品も多いのですが、数万円~数十万円単位の高額な買取価格が期待できる品が多く現存しています。

「古く見えるだけで、実際に価値があるのか分からない」といった伊万里焼でも、「ただ古そうなだけ」であっても骨董品買取業者に相談するには十分な理由に該当します。業者側も「古そうであれば相談をしてほしい」と言っていますので、まずは遠慮なく質問されてみるのをおすすめします。

作家物の伊万里焼かどうか

作家物の伊万里焼かどうか

伊万里焼にも「志田窯」「虎仙窯」などの有名な窯がいくつかあり、多くは作品の裏印から判別できます。有名な窯の伊万里焼は市場での需要が見込めますので、買取価格も付きやすくなります。ただ、窯元が特定できない伊万里焼も多く存在するため「窯が不明だから価値がない」とは一概には言えません。また、敢えてサインのない伊万里焼作品もあります。

また、古い伊万里焼の裏面に”福”という字と渦が青色で描かれていることがありますが、これを「渦福」あるいは「角福」といい、この書き方である程度の年代が特定できる場合もあります。この渦福は窯場・作者問わず描かれており、当時の中国磁器の流行に則ったものでした。現在は柿右衛門窯が商標登録しているため、現行で渦福を付けられるのは柿右衛門窯のみですが、以前は肥前の様々な窯で用いられていた印でした。

この渦福もしくは角福がある伊万里焼は古いものである可能性が高く、骨董品としての価値も期待できます。

伊万里焼に共箱(保管箱)があるかどうか

伊万里焼に共箱(保管箱)があるかどうか

伊万里焼や古伊万里が木製の箱に入っていて、かつ、表面に墨書きがあれば「共箱」である可能性が高いです。共箱の表面には作品名や作家名(窯名)などが書かれており、現物のみでも査定は出来ますが、共箱に記載されている詳細情報が分かることで更に深いレベルの査定が可能になります。

基本的に価値が高い陶磁器は共箱に入っていることが多いので、極端な話”共箱に入っていた伊万里焼”というだけでも高い価値を秘めている可能性があるということです。ただ、共箱の紛失や変更といった例外もありますので、共箱がないと価値がないというわけではありません。

伊万里焼を入手した場所がわかるなら・・・

伊万里焼を入手した場所がわかるなら・・・

伊万里焼を含めた骨董品全般に言える事ですが、高い価値をもつ骨董品とは「然るべきルート」から見つかる場合が多くなっています。然るべきルートを簡単に挙げると、「1.骨董品収集家のコレクション」「2.オークションや骨董市等で高い金額で購入」「裕福な人からプレゼントされた」などです。

ですので、伊万里焼を見つけた際にはどういったルートを辿ってここにあるのかが確認できるのであれば確認しておくことをおすすめします。「昔に政治家の人から貰った」などなど、そういった入手ルートであれば高価買取はかなり期待できますよ!


高価買取が期待できる伊万里焼かどうかを判別する簡単なポイントはこんな感じです。ですが、本当に高い価値がある伊万里焼かどうかの判断は専門家に判断してもらわなければ分かりません。共箱や作家のサインがなく、ただ古そうなだけの伊万里焼でも専門家の査定で数万円以上の買取価格がつく事は珍しい事でもありません。

ですので、古そうな伊万里焼が見つかれば正しい価値を判断するためにも、無料かつ業者が推奨しているので次の方法で骨董品買取業者の専門家に無料査定を依頼することをおすすめします!

伊万里焼の買取価格の調べ方

伊万里焼の定義と伊万里焼の種類

まず、自力で素人が伊万里焼の買取価格を調べる事は不可能と言えます。その理由は「作品知識」と「最新の相場」を知っている必要がある、つまりはオークションや骨董市等に出入りしているような人や学芸員でなければわからないからです。(当ページの前半に伊万里焼の買取価格例の一覧と解説がありますので、そこを見て伊万里焼の買取価格が算出できそうか試してみてください。)

しかし、写真によるメール査定を活用する事で素人でも伊万里焼の買取価格を簡単に特定する事が可能です。

このページでは伊万里焼に関する撮影ポイントを紹介していますが、メール査定の方法や基本的な撮影方法、相見積もりの取り方については次のページを参考にしてください。

メール査定における伊万里焼の撮影方法

メール査定における伊万里焼の撮影方法

※伊万里焼の撮影ポイントに関してはこちらの陶磁器の買取情報ページで紹介している内容と異なる点がとくにありませんので、同様の内容を紹介しています。

  • 陶器全体の撮影
    陶器全体の画像 陶器全体の画像
    陶器製品の全体の写真を撮影します。サイズ感・陶器の色が分かるようにライター等と一緒、光の反射には気を付けて撮影すると尚良いです。
  • 刻印・サインの撮影
    刻印・サインの撮影 刻印・サインの撮影
    作品のサイン(落款・陶印)を撮影します。作品の隅や底部などぱっと見て分かりづらい箇所にありますので、見当たらなければその旨を伝えましょう。
  • バックスタンプやロゴの撮影
    バックスタンプやロゴの撮影 バックスタンプやロゴの撮影
    サインと似ていますが、ノリタケやマイセンなどブランド食器はメーカーのロゴや年代等が記載されたバックスタンプがあるはずなので撮影しましょう。
  • 付属品の撮影
    付属品の撮影 付属品の撮影
    陶器の作品や食器には共箱や鑑定書と言った付属品がありますので、目につく付属品は全て撮影しましょう。写真のような共箱のサインも読めるように撮影しましょう。

撮影ポイントの補足説明

陶器の買取価格の査定には付属品と落款(サイン)、バックスタンプの撮影が重要になります。ですが、作品の中には時代背景から敢えて落款やロゴがない作品や食器もありますし、付属品がない陶器と言うのも珍しくはないので、落款やバックスタンプ、付属品がない場合はないという旨をメールの文面で伝えてあげるとよいです。

また、陶器の状態について細かな傷等を撮影するとキリがない為、全てを写真に写さなくても、文章で「小さなダメージが点在している」などと補完できればOKです。

メール査定の詳細については、次のページもぜひ参考にしてください。

伊万里焼とは?歴史や特徴を紹介します

伊万里焼とは、佐賀県の有田市周辺地域の焼き物の総称です。当時の積み出し港が伊万里港であったことから「伊万里焼」と呼ばれるようになり、華麗な色絵で西洋でも人気を博しました。

伊万里焼は人間国宝や特定の有名作家の価値が評価されているわけではなく、「古伊万里」「初期伊万里」などの経年を経た古い品が珍重される場合が多いです。買取相場としては大体1~5万円前後が付く品が多いのですが、文献に掲載された貴重な初期伊万里が150万円近くで取引された例もあります。

ここでは、伊万里焼の歴史や特徴について詳しく紹介します。

大陸から日本へ~磁器生産技術の伝来~

大陸から日本へ~磁器生産技術の伝来~

佐賀県の伊万里港は現在、主に原木や砂利などを取り扱うコンテナが無数に並ぶ巨大な国際貿易港ですが、17世紀の後半から18世紀にかけて、この港から長崎を経由して遠くヨーロッパに向けて輸出されていたのは、大量の磁器製品でした。

「伊万里焼」とは佐賀県の有田町周辺で焼かれた磁器が江戸時代に伊万里港から盛んに輸出されていたことに基づく呼称です。やがて佐賀県内のそれぞれの産地の磁器が「有田焼」「波佐見焼」といった地名にちなんだ名称で区別されるようになりましたが、今でも「伊万里焼」の名前は広く使われています。特に江戸時代の伊万里焼は明治以降の伊万里焼と区別して「古伊万里(オールドイマリ)」と呼ばれ人々を魅了しています。

日本での磁器の生産は400年ほど前の肥前国有田、現在の佐賀県有田町の辺りで始まったとされています。豊臣秀吉による全国統一の2年後、1592年から秀吉が死ぬまでの6年間に、休戦を挟みながら続いた「文録・慶長の役(朝鮮出兵)」では日本からの遠征軍が李氏朝鮮と戦い、双方に深い爪痕を残しました。

この無謀な侵略戦争で求心力を失った豊臣政権は崩壊へ向かいましたが一方この時、朝鮮から多くの文化や技術が日本にもたらされまぬした。有田焼の陶祖、金参平もこの時連れて来られた朝鮮出身の陶工で、彼が有田で陶石を発見したことから、日本の磁器の歴史が始まったと言われます。

その後1610年代には「初期伊万里」と呼ばれる朝鮮の技術の影響が見られる磁器が生産されています。厚みのある肌に藍一色の絵付けの初期伊万里は、やがて「柿右衛門様式」などの鮮やかな色彩の磁器の登場により30年足らずで姿を消しますが、後世の華やかな伊万里とは違った素朴な魅力をたたえ、美術品、骨董品として、また考古学資料として高い価値を認められています。

伊万里港から世界へ~海を渡った伊万里焼~

伊万里港から世界へ~海を渡った伊万里焼~

大陸の技術の模倣から始まった日本の磁器の生産は、職人達のたゆまぬ研究や佐賀藩の保護によって飛躍的な発展を遂げました。中国の技法をもとにして1640年代に生産されるようになった、華麗な色絵磁器は海外からも注目を浴び、さらに豪華絢爛な金襴手などの技法を生み出します。

欧州の王候貴族の間で中国風の美術様式が大流行した17世紀半ば、中国は明朝から清朝へと王朝が交代する動乱の最中にありました。磁器の生産は衰え、磁器の輸入で利益を挙げていたオランダ東インド会社(VOC)が中国製の磁器に代わるものとして目をつけたのが、肥前で生産された磁器です。

京都国立博物館には17世紀後半に佐賀県有田町で焼かれた「伊万里染め付けVOCマーク皿」という皿が収蔵されています。この皿は「芙蓉手」という皿の縁の部分をいくつかの扇形に区切った中国風の絵付けがなされた上に、皿の中央にはオランダ東インド会社を表す「VOC」のアルファベットが描かれており、手慣れた軽いタッチで描かれた花や鳳凰の中心に生真面目な筆致で書き込まれた異国の文字が微笑ましくも、当時の世界情勢を幾重にも背負っていることを考えると非常に感慨深いものです。

やがてヨーロッパでも伊万里や中国のを真似た磁器の生産が始まり、清朝中国も磁器の輸出を再開したため、伊万里焼の輸出は次第に減少し、1757年を最後にVOCを通じた公式な輸出は終わりを告げます。

伊万里焼はそれまでに培った高品質の磁器を効率的に生産する技術や、分業体制などによって、国内向けに大量の磁器を生産する時代を迎えました。佐賀県の製造業の中で今も窯業の占める割合は大きく、日本有数の陶磁器の生産額を誇っています。

他の陶磁器の種類一覧

陶磁器の種類一覧

伊万里焼以外で当サイトで紹介している陶磁器の買取情報は次の通りになります。

掛け軸や絵画、象牙、刀剣、珊瑚製品など様々な骨董品に関しても幅広く紹介していますので骨董品買取の際にはそちらも是非参考にしてください。

骨董品買取業者が買取してる陶磁器の種類一覧

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